
引用元:さいとう製菓公式サイト(https://www.saitoseika.co.jp/)
さいとう製菓株式会社と言えば、ちょっと判らないという人たちも、「かもめの玉子」と言えば、あぁ、あれねというでしょう。
日本人の人たちにずっと愛されているお菓子、それはかもめの玉子なのです。
どのようにしてかもめの玉子が誕生したのか
どのようにしてかもめの玉子が世に誕生したのでしょうか。
秘話をお話ししましょう。
さいとう製菓株式会社は、かつて、「齊藤菓子店」であり、大船渡の小さな菓子店だったのです。
現在では、東北を代表する銘菓です。
やはり有名どころは、かもめの玉子です。
しかし、すんなりかもめの玉子が世に登場したということではなかったと言います。
現社長・齊藤俊明の祖母キヌエばあちゃんの手作りの味にルーツがあると言います。
祖母キヌエと夫の政治は、大きな農家を営んでいました。
しかし、養蚕で大きな失敗をしてしまうことになります。
財産をなくて、炭焼きの仕事を、山奥に閉じこもりはじめたのです。
昭和8年には再び町へ出る決意をする訳ですが。
そして、三陸の大きな港町・大船渡に住むことになります。
大きなセメント工場があり、大勢の作業員を相手にして、「齊藤餅屋」をスタートしました。
戦争中休業を余儀なくされ、昭和23年より再開しますが、そのときわずか一坪の空間の再スタートだったのです。
家族みんなで協力しあい、もち菓子作りが再びスタートします。
特色のある菓子を
あたりまえの和菓子を作っていても、老舗の和菓子屋に到底勝つことなんて出来ないのです。
特色のある菓子を考え出すことが菓子店として生き抜くための唯一の方法だったのです。
その時思いついたのは、青い海の上を悠々と飛ぶカモメだったのです。
「鴎の玉子」がここからスタートします。
店には連日たくさんのお客さまが訪れ、「鴎の玉子」は売り切れ状態が続いたのです。
最初の玉子は、カステラのまんじゅうを鉄板で焼いたものです。
上半分だけが玉子型というまだ不完全な形でした。
かもめの玉子として再スタート
しかしまだまだ経営基盤が脆弱だったのです。
技術もない、資本もない、経営の不安を感じて従業員もどんどんやめて行ってしまうのです。
その時「鴎の玉子」の製造は休止され、今度再び再開するのは、昭和36年のこと、チリ地震津波で大船渡は大きな被害を受けて、齊藤菓子店が再び立ち上がるために必要なものは、このかもめの玉子だったのです。
そして求められているのは完全な玉子型であり、更に時代に見合った味を追求するために様々な試行錯誤があったのです。
やはりかもめの玉子に尽きるか
かもめの玉子なら、現在ではオンラインショップで簡単に購入することが出来ます。
かもめの玉子2個入は252円(税込)、大変お求めやすい価格です。
黄金かもめの玉子、紅白かもめの玉子もとても評判です。
ミニ夫婦かもめの玉子も人気商品です。
現在、かもめの玉子をしのぐほどの、苺みるくどら焼きもおすすめです。
さいとう製菓株式会社の試行錯誤はまだまだ続いていきます。